Created: 2 May 2026

第二次世界大戦の悲劇

広島ひろしまへの原爆げんばく投下

1945年8月6日の朝、広島ひろしま市は一瞬にして灼熱しゃくねつの地獄と化した。アメリカ軍の爆撃機「エノラえのら・ゲイ」が投下した原子爆弾げんしばくだんは、午前8時15分に市街地の上空で炸裂さくれつした。その瞬間、強烈きょうれつな光と熱が広島全体を包囲ほういくした。

爆発によって、市街地の約70%が焼失しょうしつした。木造の建物は跡形あとかたももなく消え去り、鉄筋の建物さえも崩壊ほうかいした。この瞬間に約7万人の人命がうばわれ、年末までには約14万人が犠牲ぎせいになった。熱線ねつせんによって、多くの人々は一瞬のうちに焼却しょうきゃくされた。

生き残った人々の苦痛くつうは、それから始まった。放射線ほうしゃせんによる火傷やけどは非常に重篤ちょうとくで、医療施設も壊滅かいめつしていたため、治療ちりょうを受けられない者が大勢いた。被爆者ひばくしゃたちの多くは、つかや河で苦しみながら息絶いきたええた。

その後、被爆者ひばくしゃたちは放射線病ほうしゃせんびょうに苦しめられた。脱毛だつもう、出血、下痢など様々な症状が現れ、数ヶ月の間に多くの人が亡くなった。さらに、その後の人生でガンがんなどの病気に罹患りかんする者も多かった。

3日後の8月9日には、長崎ながさきにも原子爆弾が投下された。この爆撃によって、約7万4千人が亡くなった。二つの都市の原爆げんばく投下は、人類じんるい史上最大の悲劇ひげきとなった。

広島ひろしま長崎ながさきの経験は、核兵器かくへいきの恐ろしさを世界にらしめた。両都市の復興ふっこうの道のりは極めて困難であったが、被爆者ひばくしゃたちと市民の不屈ふくつ精神せいしんによって、やがて平和都市として蘇生そせいした。

今日、広島ひろしま平和記念公園へいわきねんこうえんには、原子爆弾の犠牲者をいたむため、毎年多くの人が訪問ほうもんする。この悲劇ひげきは、核兵器の使用しようがもたらす非人道的ひじんどうてき結果けっかを、永遠に伝え続けるべき歴史的な教訓きょうくんである。